岐阜市で開催された、アジア映画祭に行ってきました。
①小学2年生、3年生のトットちゃん
主人公のトットちゃんのトモエ学園で過ごした、小学校時代の話。
戦前ではありますが、教育環境が現代日本とあまり変わらない家庭ですくすくと育っているのですが、いわゆる疑問探求型。知りたいと思ったことは、探求せずにいられない。それが、授業中であろうと、なかろうとといった様子でした。
子どもらしい、子ども。
どちらかというと、かおり先生もトットちゃんみたいだったかな・・・田舎暮らしだったので、山で遊ぶことも多かったですし。
そういった小学低学年の頃までに、湧き上がる学びに向かう力、方向はそれぞれ生徒によって異なる。
その異なる要求に、トモエ学園の先生たちは真剣に向き合い、見守り、励まし、応援する教育でトットちゃんは、自分らしさを出すことができ、成長してゆくというのがストーリーです。
②かおり先生の感想
普通に、泣いてしまいました。泣かずにはいられなかった。
その理由は、映画自体が良いこともありましたが、やはり私自身も、トモエ学園ほどではありませんでしたが、小学2・3年生の頃に、図画工作が専門科目だった古田先生に出会ったこと。
古田先生は、トモエ学園の先生方と同じような教育方針で、日々の授業を行なってくださいました。
今思えば、公立の小学校だったので・・教室を封鎖して、他の先生たちには知られないよう、国語や算数の教科科目を変更して、図化工作の授業だと言って、運動会のお疲れ様会、ひな祭り会、児童たちののいないところで、きっと校長先生、教頭先生に叱られただろう、当日強行ピクニックなどなどなど。
カリキュラムには書かれていない授業を突然始めたりするなど、いつも「誰もが楽しめる空間」を想像してくれていたこと。
当時の、児童だったかおり先生たちのクラスの子どもたちの、精神状態を誰よりも把握して、全力で守ってくれていた。
それぞれ個性を最大限に発揮できることが大事であることを、大人の話す言葉を使って話してくれたので、学童期だった当時は、はっきりとはそれがわからないでいると、古田先生は、今は、それがわらかなくても良い。いつか、わかる時が来ると話してくれたのです。
令和の現代では当たり前とされている個人の個性を大切にする教育も、昭和の時代ではあまり受け入れられていませんでしたので、本当に幸福なことでした。
そのことがわかった時、もう古田先生には会うことはできなかった。
③リトミック教育
しんみりしたところで、映画で描かれていたリトミック教育の様子を観ました。
リズムが大事!
リョウ先生がいつも生徒たちに話していることが、映画の中で、校長先生が口にしていたのでリョウ先生もニンマリしていました。
学校のホール、グランドピアノでリトミック教育が行われるなんて、夢みたいに素晴らしいことだと思いました。
全身で、身体表現すること。
他者のその身体表現したことを、否定しない。
忠実に守られていました。クラス内に、小児麻痺の同級生(やすあきくん)もいましたが、本当の意味でのインクルーシブ教育もされていた。私は、そう思いました。
ハンデをつけたり、手加減されたりすることの常態化は、嫌がっていた、やすあきくんでした。
まとめ
人間教育とは何か?
そんなことを改めて考えさせられた映画でした。
個性を大切にしながら、日本社会にも順応できるようにすることは教育者であればなおさら、難しい課題であると思われます。
AIの時代に、必要とされる指導者として生き残れるかどうか?個々の人間の力量が、注目されているのだとも感じられた作品でした。
古きを温ねて(たずねて)知り新しきを知る。
昭和の時代のトモエ学園の先生たちの、良い部分を見習いレッスンに活かしたいと思ったアジア映画祭の1日でした。
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