私が卒業した中学は長野県は諏訪湖のほとりの公立中学校でした。
そして入学した高校はズバ抜けて都会的で垢抜けた学校だったのです。まず、私は少年時代にそのようなギャップを経験をしています。
令和の今と違って、昭和の時代の田舎の公立中学ですから、みんな番号付きの体操服を着て日常を過ごしていました。
私服を買える場所など知りません。
しまむらもユニクロもありません。
マクドナルドもありません。
その生活が、急に一転して渋谷の中心を成す華やかな若者たちと同じ学舎で時を過ごすのです。
誰もが知る大企業の御曹司、一流アスリートの御子息、芸能関係、さる王国王族の子孫などが本当にいるのです。
父兄会ともなると、駐車場は外国車やスーパーカーの展覧会場さながらです。時は昭和のバブル真っ盛り、全盛期です。
田舎者が急にそんな所に放り込まれると、どうなるかと言いますと、もちろん友達など出来ません。
そんな高校に入学すると、まずは学校でスケートボードを滑る人達が目に飛び込んできました。
ジャンプランプなんかも本格的な手作りで、皆んな凄くカッコ良いんです。
当時Fineという雑誌があり、そこに当たり前のように掲載されるような人も居てスケートの実力も一級品です。
私は瞬く間にスケートボードの虜になりました。
もちろん私は仲間に入れるはずもなく、ひとりこっそりスケートボードを買って、ひとりこっそり練習していました。
今のようにインターネットもYoutubeもありません。
テレビすら見れない環境でした。
スケボー滑るのもひとりぼっち、娯楽も気晴らしもない環境で、友達もいない私は勉強する以外なかったのです。
今にして思えば、このように始まった高校生活が、その後の私の人生に大きな影響を及ぼしたのです。
まず第一に、最初パッとしなかった成績がみるみる上昇しました。
そのおかげでどうなったかと言いますと、親が
「この子は医者になれる」
というとんでもない勘違いをしてしまったのです。
しかし高校生活が続けば、次第に環境に慣れていき、友達が出来るようになります。
想像してみてください。ただ他にやることがなかったから、という、たったそれだけの理由で勉強をしていた少年に友達が出来るようになったのです。
服や靴の着こなしが上手な友達が出来ると、オシャレに目覚めます。オシャレに目覚めれば街を闊歩するようになります。
スケボーの上手い友達が出来ると、スケート・ショップに出入りするようになり、スケートスポットを巡り、いろんな仲間とスケートを楽しみます。
輝き出した高校生活に反比例して、成績はみるみる急降下して行きました。
もともとやることがないから、という理由だけでやっていた勉強です。
偏差値などというものに未練などありません。
そもそも私は高校すら行く気もなく、中学を卒業したら板前の修行に出るつもりだったのです。
「板前が高校くらい出てなければ客と話もできないぞ。」(絶対にそんなことはありません)
と、父親に子供騙しに騙され、受験したら受かって、受かったら嬉しくなって通い出す、というまさに子供騙しの図式。
しかも父が
「制服がカッコ良いから」
という、いい加減な理由で勝手に選んだ学校です。
どいつもこいつもいい加減で、しかし良く言えば昭和の能天気な、今よりもっとノンビリした時代だったのです。
大学に受かりさえすればあとは一生安泰と誰もが能天気に考えていられた、バカみたいに信じ難い時代が本当に日本にあったのです。
経済はずっと成長していき、いつまでも景気が良くて、底辺なんていう人はおらず、格差なんていうものはなく、日本人一億人みんな中流家庭だね、なんて皆が思っていました。
なんと世界中のお金の半分を日本人が持っていたという時代のお話です。
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