昔、北野ファンクラブというTV番組で、
「アメリカから凄いミュージシャンが来る。『俺は200曲弾けるんだぜ!』って息巻いてんだよ。で、そりゃスゲー奴が来るってんで皆で緊張して待ってたら全部同じコード進行でやんの。」
という話がありました。
これは笑い話でありながらも、実は奥深い。
バッハが12音平均律の実用性を証明して(厳密に言うとバッハの偉業は現代の12音平均律とは異なる)、今なおほぼ全ての楽曲は1部を除き、12音平均律のルールで作られています。
その中で、もうコードの理論は研究し尽くされ、もはや新しい楽曲の形態は生まれないと言われて随分経ちました。
最後に残された可能性はモーダルインターチェンジだと言われたことがありますが・・
小難しい話はまた別の機会にするとして、一般的な楽曲の中で、最もシンプルな構成はスリーコード、つまりひとつの曲の中にコードが3つしか出てこない曲です。
3コードの代表的音楽はブルースですが、ブルースを真剣に学ぶと、3コードでも驚くほどのバラエティがある事に気づきます。決して誇張ではありません。
ブルーハーツなどは3コードの極めてシンプルな曲をたくさん持っていますが、未だに若者に人気があるのは、まさに音、雰囲気、詩、存在感などが若い魂に大いに訴えかけてくるからです。
12小節のスリーコードの進行を延々と続けられると言うのは本当に凄いことです。
何年やっても飽きないし、何時も新しい発見があるブルースはセッションによって更なるレベルの音楽になるので、さまざまな音楽大学で入学試験の重要項目に取り入れられているほどです。
逆に言うと、ただ単に新しいことをやろうと変わった事をしても、それは人の心を打たないのです。
音楽の進行が単純であっても人の心を打つのは、変わったことや目新しいコードではなく、本当にその音が好きで、やり続けていて、磨き続けたものが、グルーヴをモノにして花開く時だと思うのです。
北野ファンクラブのジョークを思い出した事から以上のようなことに思いを馳せました。
ジョークの中に登場するミュージシャンは笑われてはいますが、あながち嘘を言っているのではないのです。
大事なのはコード進行よりも歌心なんですよね。それを知っていれば全部同じコード進行でも何百曲も作れるというのは本当なのです。
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