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音が鳴っていなくても音楽はそこに存在する

 

どんなに小さな物でも顕微鏡で見ると巨大であり、どんなに速い動きも光に比べると止まっているも同然ですね。そんな考えが作曲に役に立つのでしょうか。音楽の教室でそんな話をする人はまさか居な・・ここにいたよ!!

 

例えばバッハの曲を演奏する人は、音と音の「間」を大切にします。

 

例えそれが32分音符のような速い音の繋がりであってもひとつひとつの音と音の間に絹糸1本程の「間」を作る事を意識することによって、音が独立して粒立ち、本物の音楽を作る事ができるという訓練を重視しているのです。

これがただの速い音を弾くだけではダメだと言われる所以です。

 

この時は生徒に音楽はゆっくり弾く方が難しいと説明していますが、この生徒には

「ただやみくもに速く弾こうとすると、本物の音楽性が失われるので、非常に遅い速度で正確に音楽表現を出来る様にしてから速度を上げて行く」

という事を時間を掛けて訓練を積んでもらいます。

 

この非常に遅い速度で正確な音楽表現を出来る様になってから段々と速度を上げていくという練習法は極めて重要です。上原ひろみさんというピアニストは、メトロノームの速度は300で練習しているそうですが、最初から速く弾いているのではなく、「必ず」遅い速度で正確な音楽表現を出来るようにしてから、速度を上げているはずです。 

このような訓練を積み重ねる事によって、彼女はただ速いだけの音の連続を奏でているのではなく、速度を落としても速度を超人的に上げても変わらず音楽的な演奏を可能にしています。

 

指の動きが速いピアニストは星の数ほど存在しますが、超絶に速度を上げてもなおかつ、音と音の間に「間」を作れるという事が、ただの「1流」と「超1流」との大きな差を作っていると私は分析しています。

 

メトロノームの速度が300であっても、その時間の「間」は絹糸1本分であっても音が鳴らない「間」は音楽であり、奏者がそれを知っているか、練習中に意識しているかで、その絹糸は果てしなく大きいというある意味物理学的な役に立たない作曲講座でした。

 

 

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